comoco’s blog

ネガティヴな思い出を綴る場。楽しい話は基本的にありません。

中期中絶しました。その2

12週以降の中絶は、初期のように全身麻酔下で子宮内容物を掻き出す処置は取らず、子宮口を広げ陣痛を起こし分娩する、という通常のお産と同じプロセスを辿ります。

入院期間も数日に及びます。
何から何まで、昨年の初期流産とはまったく違いました。
 
閉じている子宮口を強制的に広げる。
これにはとても時間がかかり、痛みも伴います。
医師の説明をしっかり聞いた後に、体験談などをあらかじめ少し読みましたが、正直恐怖と不安が募るばかりであまり読み漁る気にもなれず、覚悟しようにも「なるようになる」と思う以外にどうしたらよいのかわかりませんでした。
 
初期流産後の処置でも子宮口を広げることはしますが、せいぜい3-5mm程度です。
今回の場合、胎児の頭は3cm程あるのでそれ以上には広げなければなりません。
あの時も、一瞬声を上げるほど痛かったのに…
 
入院直後からその処置は始まりました。
具体的には、ラミセル(またはラミナリア)と呼ばれる棒状器具を挿入します。
これは水分を吸うと膨張するスポンジのようなもので無理なく子宮口を広げられるのだそうです。
目標の広さになるまでおよそ半日毎に入れ替えをして、その度に本数を増やして徐々に開いていきます。
開き具合には個人差があり、なかなか開かない人もいればあっさり開いてしまう人もいるといいます。
一般的に経産婦は早いと言われていますが、私は経産婦と言えど帝王切開だったので産道を通っておらず、その意味では初産婦と変わりはありません。
今回の3cmに至るまでは、丸2日はかかると言われました。
 
と書くと非常にあっさりなのですが、これが非っっっ常に痛かったです。
 
 
入院2日目の朝の処置後のこと。
前日とは違い、まずすぐには立てませんでした。
歩いて部屋に帰ることはできたものの、気休め程度にもらった痛み止めの内服を水と共に吐き出してしまう始末。
 
その日の夕方の処置のこと。
振り返ればここが一番辛かったです。
挿入本数も増えてきたので、まず処置に時間がかかります。
内診台の上で脚を開き、そこをライトで照らされたままじっとしていなけれなならないのです。
処置自体を私が見ることはありませんが(見たくもない!)、挿入するたびにまるで身体の内部から腹パンされるような激しい痛み。
胎盤鉗子か何かの金属器具が間接的に触れる無機質な感覚。
まだ続くの??早く、早く終わって!と願わずにはいられませんでした。
処置後、立ち上がれない私はその場で号泣しました。
自分でもわけがわかりませんでした。
結局、車椅子で部屋まで移動しました。
 
3日目の朝。
前日の夕方の話では、この時には3cm開いているだろうというのが医師の予想でしたが、実際には2.5cm程度とのこと。
(経産婦さんはわかるでしょうけれど、この子宮口がどの程度開いているかを確認する内診も非常に痛いんです。)
子宮口を広げる処置を継続します、と告げられた時には思わず顔を覆ってしまいました。
あと少なくとも2回はこの処置に耐えねばならない… そう思うともう目の前が真っ暗になりました。
 
その日の夕方。
この時は、挿入されているラミナリアを抜くときが大変でした。
剥がされるような、引っ張られるような感覚。
なぜ人間のそこの感覚は鋭敏にできているのでしょうね…
 
 
2日目の夜に号泣した理由、はじめは自分でもわかりませんでした。
確かにとても痛かったです。でもそれだけ?
処置中に私が「痛い!もうやめて!」と叫んでも、やめられるものではありません。
プライベートゾーンを晒し、そこに何か異物を挿入されている。何度も何度も。
確実に終わりはあるのに、永遠にも感じられるその時間。
その場にいるのは医師と看護師だけで、全員女性で、こまめに私を気遣う声を掛けてくれて、手をさすってくれて、こんなにも安心できる状況はないのに、それでもなぜか言いようのない惨めさを感じてしまったのです。
痛みに耐えた先にあるのは元気な子の誕生でもなく、病気や怪我から回復でもない。
外に出ては生きられない命であるかもしれないけど、確かに宿った子を自らの意思で葬ることです。
 
そんなこと、まったく望んでいなかったのに!!
なぜ私だけがこんな思いをしなければならないの??
 
頭ではわかっています。
これは偶然であり、誰のせいでもなく、早く妊娠を終わらせることが母子双方にとって最善であることも、
子宮口をしっかり広げなければ分娩にさらなる危険がともなうことも。
 
心の奥に抱えていた痛みや辛さが、肉体的な痛みとともに一気に噴き出したかのようでした。