他人には些細な事であるが、当人には一生忘れられない恐怖の話
長男、療育センターのスヌーズレン室に入れなくなった。
※スヌーズレン
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去年は大好きで、誰よりもリラックスし、その空間を楽しんでいたのに。
今年、ある日を境に激しく拒否反応を示すようになった。
その日、私は長男に付いていなかったので、何が起こったのかはわからない。何もなかったのかもしれない。
誰にも理由はわからない。
私は入れなくなった事実を聞いても、去年の彼の姿を知っているだけに俄かには信じられなかった。
1か月程後に親子通園でスヌーズレンに入る日、私にべったりの長男が私と一緒であっても入室を拒否。
少し怯えたようにバイバイ、バイバイと手を振って先生にしっかり抱っこされていた。
本当に嫌なのだ、とそこで私にもよくわかった。
大好きだった場所が、ある日を境に絶対に行きたくない場所になる。
思い返せば、私にもそういう場所があった。
幼い頃、電車が大好きで電車が見えるスポットに行くと1時間は動かなかった私。
自宅から15分程の所にある踏切も、お気に入りスポットの1つだった。
その踏切は、ある日を境に絶対に行きたくない場所になった。
私は「その日」のことを覚えていない。
でも、何故行きたくなくなったのかは実ははっきりしている。
看板だ。
踏切の中に無闇に入ると危険、と子どもにもわかりやすく啓蒙する為に踏切の傍に立てられたそれである。
そこには、踏切に走って進入しようとする子供の絵と、電車が怒った形相で近づいてくる絵が描かれていた。
その電車の絵が、堪らなく恐ろしかったからだ。
私は驚かされることが大の苦手である。
大人になった今でも、ホラー映画やお化け屋敷の類はお化けそのものの怖さよりもその驚かされる演出が苦手で怖くて、触れないようにしている位だ。
幼い頃はもっとその傾向が顕著で、その驚かされた経験は強烈な印象となって残っているのだろう。
まして大好きな電車が事もあろうに鬼のような形相で襲いかからんばかりにこちらに向かってくる絵なのだ。
ある意味、トラウマだ。
まさにその初めて看板に驚かされた時のことを覚えていないことこそが、とても強烈な経験だったのだろうとすら思う。
それはある日急に立てられた物なのか、ずっとそこにあったけれどその日まで私が気づかなかっただけなのかはわからない。
でも、その看板がそこにある、ということを思うだけで何が何でも近づきたくなかった。
両親は、突然その踏切を激しく拒否するようになった私を非常に不思議に思ったようだ。
しかし何度か通っているうちにまた慣れるだろうと考えたらしく、無理矢理連れて行かれたこともある。
そこを通るのが一番近道になる場合も多かったからだ。
何度通っても嫌なものは嫌だった。
父は嫌な物は嫌なのだろうと早くに納得してくれて、理由を聞かずにその踏切を避けてくれるようになった。
しかし母は、何故あの踏切を通りたくないのか、と何度も訊いてきた。
私は答えなかった。
たかが看板が怖くて近づきたくない、などとはとても言えなかった。
笑われたりおかしな子と思われるんじゃないかと思った。
それでも一度だけ、意を決して正直に話した事がある。
小学生の頃だったように思う。
母は笑いはしなかったが、しつこく訊いてきた。
電車が笑った顔だったら大丈夫なのか、
泣いてたらどうだ、
電車でなかったらどうだ、
とかそんなようなことだ。
私はその看板を頭に思い浮かべることすら嫌で、電車の表情が違っていたらなどという想像をいちいちすることすら出来なかった。
結局、母には私が感じている恐怖感をうまく伝えられなかった。
そのうち母は「あなたにしか感じられない霊か何かがあるのでしょう」と無理矢理納得していたようだった。
成長するにつれ、車で通過するなら大丈夫、絶対に看板の方を向かないと心に誓い実行すれば大丈夫、と少しずつ克服していった。
それでも苦手である事には変わりなかった。
長男に何があったのかはわからない。
もしかしたら彼自身にすらわからないかもしれない。
でもあの怯えた顔、彼にとって強烈な恐怖体験があったのだろうと思う。
スヌーズレン室に入れなくて困る事は無いのだから、避ければ済む事だ。
無理に慣れさせ、克服させることではない。
もし彼が今後その恐怖感を思い出すような事があれば、出来れば側にいて寄り添いたいと思う。
あの踏切は、立体交差か何かになり、今はもう存在しない。
その場所を歩行者として通ることは無いが、電車の乗客として通過することは偶にある。
乗客として通過する時でさえ、ああこの辺だったなと今でも必ず意識してしまう。
この文章を書いている今も、動悸が激しくなっている。
私は結局、ちっとも克服出来ていないのだ。
困る事は無いのだからそれでいい。
でも育児をしていると、こうして過去の自分を取り出して向き合わねばならない事がある。
ちょっとしんどいね。