comoco’s blog

ネガティヴな思い出を綴る場。楽しい話は基本的にありません。

流産しました

「大変申し上げにくいのですが、流産の診断をつけることになります。」

ああやっぱり。
覚悟はとうにできていました。

その1週間前、妊娠8週の健診。
医師がやけに長くエコー見てるなーと思ったら、
「赤ちゃんが見えない」
とのこと。
通常、妊娠8週ならば赤ちゃんの心拍が確認できて一安心となるところです。
3年前、長男の妊娠時は、モニターの中の点滅する白い心拍がはっきりと映っていました。
「コレは数十年後に私が死んでもさらに数十年動き続ける心臓なんだよなー」
と、まだぜんぜん実感ない中でそんなことを考えていました。
今回は、それがない。
黒い池みたいに胎嚢は映っているのに、その中にあるはずの肝心のものがないのです。
排卵が遅れていてまだ確認できないのかもしれないので、また来週来てください。」
予定されていた初期の血液検査はキャンセルになり、そのまま帰されました。

6週の後半から、吐き気と胃痛に襲われ、一日中二日酔い状態になりました。
誰だよ、2人目のツワリは軽いって言ったのは!!!
外は爽やかな五月晴れ。それなのに気分最悪。しかも息子はこの頃輪をかけて甘えん坊になり、常に接触を求めてくる。
まだ産まれてもないのに赤ちゃん返り?!
まだ産まれてもないのにこんなに辛くて2人育児できんの?!
久しぶりに「私ってダメ母」と落ち込み、夜中に涙を流していました。
(まったく育児中の母親あるあるですね)

妊娠に気付いたのは4週の半ば、5週には子宮内の胎嚢が確認できました。
前回は赤ちゃんのいる生活なんてぜんぜん想像できなくて、これからどうなるんだろうと漠然と期待と不安を感じていましたが、経産婦となった今回は、妄想も具体的です。
12月生まれってことは冬の子でしょ、暖房つけっぱなしになるよなー
正月どころじゃないなー、授乳しながら年越しだな
入院中から産褥期の長男の定期的な用事はどうするかなー
長男もいるし里帰りしないで自宅にいるかなー
…みたいな感じです。
気が早すぎるのもいいところです。
でも本気でそんなことを考えていました。

排卵が遅れている可能性は、今回は考えにくいことでした。
心拍が確認できなかった8週の診察後は、つわりなのかショックなのかはわかりませんがまったく食欲がありませんでした。
こんなに気持ち悪いのに、それでも赤ちゃんが育っていないってことがあるのね…
つわりがあるのは順調な証拠かと思っていたよ…
医師によれば身体が妊娠状態であれば、異常があってもつわりはあっておかしくないのだそうです。

私の流産の診断は「稽留流産」です。
流産はその字の如く、妊娠初期に激しい生理のように子宮内のものが赤ちゃん諸共流れてしまうこと、と認識していました。
昔はそれでしか流産を確認できなかったのでしょう。(進行流産ですね)
今は、子宮内の様子をエコーなどで確認できるので、まだ「流れて」いなくても流産の診断がつくそうです。

流産の原因ははっきりとはわかりませんが、受精卵が生きていけない状態だったのでしょう。
誰のせいでもありません。
流産は妊娠全体の約15%もあります。決して珍しいことではありません。
長男を妊娠中に受けたプレママ講座で産科の大教授が仰っていました。
「流産」は避けられないこと。
「早産」は避けたいこと。

流産はよくあることと知識としては知っていたけど、長男はあまりにも順調な経過だったので、なんとなく今回も順調に行くだろうと高を括っていました。
いやいや、ほんとに思い込みですね…
それでも、ショックは大きかったかといえばさほどでもありません。
せっかくつわりの気持ち悪さに耐えてきたのにーー!ってくらいです。
本当仕方ないことだし、目の前には幼い息子がいます。
私も夫もまだ元気だし、次の妊娠も可能でしょう。
そういう日常と希望があるからだと思います。

処置自体はあっけなく、日帰り入院で大丈夫でした。
それでも、一瞬「痛いっ!」と思わず叫んでしまうほどの激しい痛みと採血やら点滴やら小さな痛みなどいろいろあったので、つくづく妊娠出産は女ばかりにその負担がのしかかっているよなーと生物の理不尽さに口を尖らせたくなりました。

処置後、麻酔から完全に覚めると、この数週間ずっとあった胃腸の不快感は全くなくなっていました。
朝から絶食だったので、空腹感は最高潮。
起床許可が出るまでずっと何食べようか考えていました。
看護師さんと一緒にトイレに行って、病院内なら歩行しても良いと言われると、待ってましたとばかりにすぐに売店へ。
病室で購入したお弁当を食べながら、味覚が妊娠前に戻ってるかも、と感じました。
それまでダメだった温かいごはんが美味しかったから。
退院診察でも問題ないと言われ一安心。
下腹は鈍痛があるけれど、胃腸はすっきりしていて気分良く退院しました。
辛かったのは翌日の夜。
昼間に調子に乗って連続数時間起きていたせいなのか、夕食後に下腹の痛みとふらつきが酷くなり身の置き所がない状態に。
やっぱりおとなしくしていないとダメなのね… と反省して就寝しました。

流産や死産後の女性は、無事に出産に至った母子に対して複雑な気持ちがあるものだと何かで見ましたが、私に限っては全くありません。
人は人、自分は自分ですから、SNSで新生児の写真を見てもそれまでと同じように素直に「おめでとう!」と思います。
おめでたいご報告はとても嬉しいもの、むしろどんどん載せて!という感じです。

なんでこうなってしまったんだろう…等と意味のないことを考える暇はなくて、今目の前にある日常をなんとかやりくりしながら、次のことを考えて行動するので精一杯です。
もうひとり子どもが欲しい、という思いは私も夫も変わらず持っているので、また可能な時期になったら妊娠に挑戦するだけです。
と言っても流産を無かったことにするつもりは全くありません。
妊娠出産はひとつひとつ違い、無事に出産できることが当たり前ではない、という当たり前のことを肌で知る良い機会でした。
またこれも当然ですが、もしもっと後の週数での流産、あるいは死産や誕生死ならば、全く違う気持ちになっていたことでしょう。

前回の妊娠時もそうでしたが、身体も生活も大変化が起こるのに、知識が無い。
そんな時に、自分の妊娠出産の経験を話してくれる人たちの存在はとても心強いものでした。
順調に進んだ話ばかりでなく、切迫早産で上の子を置いて何カ月も入院が必要だった、1週間生死の境をさまよった、「奥さまとお子さんのどちらを助けますか。」と究極の選択を迫られた旦那様、不妊治療のこと、数回の流産の末にようやく無事出産できた… 
そんな経験をした人は周りにもたくさんいました。
私の経験は決して珍しくない、「よくあること」ではあります。
そんな経験でも、誰かの参考や励ましになればと思い、この記事を書きました。
そして、確かに私に宿りかけた命を忘れないために。